世界を模索日記

もやもやしていることを聞き散らかす日記です。 気が向くと毎日更新。 そうかと思うと半年放置。 そんな感じでやってます。

精神科は何するところぞ

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大変ご無沙汰しております。
何だか色々ありまして、公認心理師関係のこともあったり、仕事で色々あったりと忙しくしていました。
もちろんゲームもやっております。今はFF14を再開して、すっかり忘れいていることばかりで戸惑っています。


さて、今日こんなついったランドでこんなことを呟きました。


これは前段階の話がついったランドでありました。
あるマイノリティ属性を持つ方に支離滅裂な罵倒を浴びせかける人がいて、丁寧に対応をしていたけど、全く埒があかない。そして最終的にその人に対して「病院に行ったほうがいい」と勧めたと。
それに対して、「それはトーンポリンシングだ」「精神疾患への偏見だ」という人が現れて。。。
ということがありました。

なので、

精神科行った方がいい 

というワードが出てくるのだと私は思いました。

私がツイートで紹介したはてなの人は精神科は助けにならなかったと言われています。
そういう方もいると思います。私も精神科で何もお役に立てなかったなと思うことがありますので、大変申し訳ないと思います。

ただ、精神科って何するところなのか?というのが世間でどれだけ具体的にイメージされているのだろう?と疑問に思いました。少なくともこの方は精神科に何を求めて行ったのだろう?と。

その辺を田舎の末端の精神科医ではなく、臨床心理士が独断と偏見で書こうと思います。(長いです)




基本

当たり前ですが精神科は病院です。病院とは病気を治すところです。逆に言えば病気以外は対象外です。
先のついったランドのやり取りは私も見ていました、あの場合は「ヘイトスピーチをしているから」病院行った方がいいではなく、「支離滅裂な発言をしているから」病院行った方がいいんだと感じました。支離滅裂で訂正不可能な不合理な確信を持っている場合、病気の可能性があると考えるのはおかしいことではないですし、身近にそういう人がいたら、やはり病院を勧めるでしょう。

そうはいっても、自分が病気かどうかはわかりませんし、今現在苦しいのは確かであったら、病院に行くのは当たり前です。何だかわからないけど、しんどいし、微熱が続くみたいな時はとりあえず内科を受診するのと同じくらいに気軽に精神科に受診できるようになればいいいなと思います。

ハードルが高いと感じる精神科に予約をすること自体が結構しんどいことだと思います。そしてこのつらさをどうにかしてくれるのではないかと期待もします。しんどければしんどいほど、ハードルが高ければ高いほど、期待も上がっていくのではないでしょうか。

基本、初診は、予診というものを先にします。予診を取るのは心理士の場合もあるし、精神保健福祉士の場合もあるし、看護師の場合もありますし、医者の場合もあります。今の状態や家族歴や現病歴やその他色々聞かれます。そして担当医の初診が行われます。予診は結構長いし、初診も結構長く話を聞きます。
そして、治療の方針を決めて処方するという流れです。(予診しないところはおすすめできないかも)

逆にいうと、初診以外は短いです。5分診療と揶揄されるけど、人気のあるところは1日30−50人診るので仕方ないですね。
医者の仕事は薬を主軸として病気を治すことなので。

症状の軽減が一義的な目的になります。症状の軽減は主に薬物療法という医者が多いです。
ですから、症状についてきちんと現状を話しをすることが大切です。
薬の副作用や飲み心地などもフェードバックしないと適切な処方はできないので、伝えることが必須です。


精神科は他の科よりも一緒に回復していくという共同作業の面が強いと考えた方がいいです。
治してもらえると思うと裏切られ感が強くなります。


精神科とか心療内科とか神経内科とか

精神科、心療内科、神経科、神経内科などなど何だか色々あってよくわからない人がいるかもしれません。てんかんやパーキンソン病、脳性麻痺とかなら神経科・神経内科がいいでしょう。

でも何だかよくわからないけど、うつ病チェックで点数が多かったぞとか、パーソナリティ障害のチェックやったら心当たりがあるぞ、リストカット、依存、などなど場合は「精神科」がいいと思います。

心療内科ってのは主に身体に症状がある人が対象になります。ただうつなどでも身体の症状がある場合があるので、その辺は行って見てから心療内科ではなく精神科の方が適応だと判断すれば転院を勧められます。



単科精神科の特徴

私は単科の精神科とクリニックしか働いたことがないのですが、一番コアなのが単科の精神科です。
精神科だけの入院施設がある病院です。昔は鉄格子がハマっていたようなところです。
今はだいぶ明るい雰囲気になりましたが、入院が必要で且つ閉鎖病棟が適切だという方は単科の精神科が第一候補になるかもしれません。

閉鎖病棟が必要な方はとは。。。自殺企図があったり、ある程度の行動を制限した方がいい人です。

あとはコメディカルが充実しています。コメディカルとは医者以外の精神科医療に関わるスタッフです。
たとえば作業療法士や精神保健福祉士、言語聴覚士、そして臨床心理士などです。

少なくともほぼ臨床心理士以外はいます(笑)なぜなら保険点数が取れるからです。
障害年金や手帳、自立支援など制度やお金の相談は精神保健福祉士へ、リハビリは作業療法士へ。
そしてカウンセリングは臨床心理士へ医者から指示が出ます。心理検査も心理士が行います。
心理検査を絶対してもらいたい!という場合は単科精神科であればほぼ取ってもらえると考えられます。
またデイケアを持っているところも多いので、リワークを受けたいとかそういう希望がある場合は単科精神科が良いと思います。(リワークやっていないところもあるから調べてね)


精神科クリニックの特徴

最近は筍のようにできているのがクリニックです。小洒落たサロンのようなクリニックもあるので、抵抗はかなり少なくなってきているかもしれません。私が現在勤務しているクリニックももちろん小洒落ています。

正直、単科精神科よりも当たり外れは大きいと思います。

「行きやすいけど当たり外れの大きいクリニック」

ってのは覚えておいたほうがいいでしょう。あとは、患者さんの口コミも大事ですが、患者さんから人気はあるけど地域の医療者からは引かれているというところもあり、なかなか難しいです。人気はあるけど治らないというところもありますwww

クリニックはピンキリです。コメディカルが一切いないというところもあります。
なので、ちゃんと調べた方がいいでしょう。

心理検査を受けられるか?カウンセリングを受けられるか?デイケアはあるか?などHPをチェックしましょう。



独断と偏見の医者選び

精神科はとにかく幅の広いです。年齢層も幅広く、適応症も幅広い。だから一人の医者が全てを網羅してなんでもどんと来い!みたいなことは無理です。

その先生の専門、興味はなんなんだろう?
 
ってのは非常に大事だと思います。

特に大人の発達障害は診れる先生は少ないでしょう。ADHDの治療薬(コンサータ)を出せる先生も少ない*1と思います。小児科の先生の方が多いんじゃないかな。

だから自分が発達障害ではないか?と思われる人は少なくとも心理士がいて、その分野についてHPなどで言及しているところなのか?はチェックポイントだと思います。電話で問い合わせてもいいと思います。

HPでその医者の経歴をざっと調べてみるとか、どんな論文を書いているのか、どんな学会に入っているのかとかもチェックポイントかな。

私の中ではどんな学会に入っているかってのは注目ポイントだと思っていて、その先生の興味関心が表れているじゃないかと考えています。

あとは

精神保健指定医を持っている先生は精神科が専門の先生である

と言えます。持っていないから専門ではないとは言いませんが、少なくとも持っている先生は精神科で食ってきた先生だと言えると思います。


カウンセリングについて

カウンセリングは保険診療外、自由診療のものです。CBT(認知行動療法)は医者と看護が施行する場合は保険で受けられます。しかしほとんどのそういうケースはありません。

心理士がカウンセリングをする場合は自由診療になるので、地域によって異なりますが、5000〜15000円/50分くらいで受けられます。

医療機関に併設されている場合と独立開業している場合があります。

今でもまだあると思いますが、保険でカウンセリング受けられるよ!みたいな声をついったランドで見かけることがありますが、それは限りなく黒よりのグレーなので、臨床心理士で今後公認心理師を確立させたいと思っている私は根絶したいと思っています。

今後公認心理師が正当な手続きで保険でカウンセリングを提供できるように頑張りたいと思っています。

で、カウンセリングこそマジでピンキリで、高いからいいわけでもないけど、腕のいい人は安くないという、本当にユーザーからすると勘弁してという状況です。

心理療法はそれこそ花盛りでWHOで認められているものから、眉唾物まであります。

その心理士の特徴もありますからなんとも言えない。

ただ、医者は話を聞いてくれないと不満に感じる人はカウンセリングを受けることでその不満が解決することができるかもしれません。

公認心理師資格できた今は、医療と連携を取ることを明確にしているところが大きく外れることはないでしょう。

そういうことを一切書いていないところはお勧めしません。気になったら電話で問い合わせてみましょう。



というわけで、ざっとやっつけで書いてみました。
何か質問があったら、質問箱とかにしてみてね〜。
ではでは。










*1コンサータを処方する場合、処方医はコンサータ錠適正流通管理委員会に登録しないと処方できません。

「性暴力と修復的司法」を読んでの感想というか思ったこと。#2

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前回の#1から随分と間が空いてしまいましたが、#2です。

性被害のトラウマセラピーをしていると、必ずクライアントの「なぜ?」という疑問からは逃れられません。

「なぜ、こんなことが起きたのか?」
「なぜ、こんなひどいことをするのか?」
「なぜ、私なのか?」

本に書かれているように、それに応えられるのは、加害者本人だけです。

大阪大学の藤岡先生は性犯罪の「再発防止プログラム」を牽引してきた先生ですが、
何年前かな。
藤岡先生と信田さよ子先生のWSが心理臨床学会であって、それに参加した時に、
加害者のaccountabilityについての話をしていました。
accountabilityとresponsibility
どちらも日本語では「責任」と訳しましすが、その違いについての説明をされていました。
こんな記事を見つけました。

日本語にはない「責任」に関する「RESPOSIBILITY」と「ACCOUNTABILIY」の違いとは?
 
    • 「responsibility」:Responsibility may refer to: being in charge, being the owner of a task or event.
    • 「accountability」:In ethics and governance, accountability is answer-ability, blameworthiness, liability, and the expectation of account-giving.
これ見て思うのは、accoutabilityはanswer abilityっていうの、面白いよね。
直訳すると「応える能力」 

加害者は自分の行為によった起こった結果に対して「応え」ないといけないということです。
加害者がの行為の結果で損なったものを埋め合わせる。補償する。償うということ。
ただ、加害者側の償いは被害者からの拒否も含めたものではないといけないし、加害者の回復のために被害者が利用されてはいけないと強く思います。
その上で、被害者からの「問い」も加害者が応えるべきものでしょう。

ちょうどこの本を読んでいる時に「ホログラフィートーク」というトラウマセラピーのWSに参加をしていました。
「自我状態療法」の一つです。
これはイメージの中で、問題となる出来事の関係者と話しをすします。
実際の加害者ではなくとも、イメージの中だとしても、この「応え」を得られる方法の一つなのかなと。
そしてこの本を読むことで「ホログラフィートーク」の意義や効果についての考察を深く考えられたということと、「 RJ」が心理的な回復にもたらす影響についての気づきも得られたのも良かったです。
タイミングの良さに感謝です。
 

被害者が加害者へ問いかけるということは、被害者が「主体」となって、奪われた自己を取りもどすということにです。
被害者は被害に遭うことによって、いろいろなものが奪われます。
また、症状によってもたくさんのことが奪われます。


自己は共同体の中で形作られます。でもそれだけでなく共同体の中で作られる自己を相対的な自己とすれば、絶対的な自己は確かに存在します。

アイデンティティの確立の時期と言われる思春期には友だちとの関係が大きく影響して、

自分は丸だか友だちの丸とは大きさが違うとか

彼女は楕円であるとか

彼は四角であるとか


比較し、そう眼差されること、そう評価されることでアイデンティティの外側は形作られます。
でも、それだけでもなくて、

私は私であるという絶対的な自己


も同じように育てたなければ、いわゆる周りの目を気にして動く/動けない子になります。


主体としての私とは「絶対的な」私であると言えるかもしれない。その2つは両輪であるからこそ機能すします。

トラウマを受けた人たちはこの「私は私である」という確信が薄くなっています。自己の身体の境界さえもあやふやに感じます。 
その中でこの加害者への「問い」はもしかしたら被害者の一番最初の「主体」の表れかもしれません。


そう考えると「RJ」の期待は高まりますが、セラピストとしては
「勘弁してくれ」
と思ってしまうんですが、それは次回にします。 











 

トラウマフォーカスト認知行動療法(TF-CBT)


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(2014/3/27の記事)追記あり


トラウマ治療においてエビデンスが確立している治療法はいくつかあります。
詳しくはこちら
トラウマティックストレス学会
武蔵野大学心理臨床センター


その中でこのトラウマフォーカスト認知行動療法(以下TF-CBT)は比較的安全で効果のあるものだといわれています。
TF-CBTとは
TFCBTの有効性は、1980年代末ころからRCTによる研究で繰り返し示されてきた。その多くは、治療のコンポーネントとして、トラウマ記憶へのエクスポージャーや認知の修正などの技法を含んでいる。その中核となっているのが、Foa EBらが1980年代に提唱し実証結果を継続的に発表し、マニュアルや解説も発表されている持続エクスポージャー(Prolonged Exposure以下PE とする)療法である。
武蔵野大学心理臨床センターより


私も現在勉強中であり、実施しています。
兵庫県心のケアセンターで配布しているTF-CBTのワークシートはとても助かっています。
さて、そんな私がどこで研修を受けたかというと
Seeding HopeというNPOで勉強させて頂きました。
TF-CBTだけではなく、ナラティブエクスポージャーなども学びました。
そのSeeding Hopeが現在行っている活動で寄付を募っています。
(追記2018年現在は解散しています。)



私もモニカ先生のお話聞きました。もっと支援職にいる人たちにこのスキルを学んでもらいたいと思います。

みんな言わないけど、多くの子どもたちがトラウマにさらされています。
でも言わない。子どもも大人もトラウマを受けていることを言えない。
自分の身に起きたことが被害だと気がついていない。
回りの大人もそれが被害であると認知していない。
そんなことが生活の中でたくさん起こっています。
被害だと認識していなくとも、傷つき、くじかれていきます。
そういう人に出会った時に適切な対応が取れる、支援者をたくさん増えてほしいなと思います。









(2018/2/2) 追記。
TF-CBTの記事が地味にコンスタントに伸びているので、ちょっと言及します。
トラウマ治療において、周りの人の理解と温かい支援が不可欠で特に子ども場合は親御さんの理解と安定性が大きな影響を与えます。
なので、最初に親子への心理教育にかなり時間を割くことになります。
CBTに熟達した先生から、「非常に厳密にパッケージされたもの」という意見がありました。
まさに、かなり構造化されたものだと思います。
それはやはり「トラウマ」の特殊性に原因があると思います。

上記の本は参考になると思います。
興味のある方はどうぞ。

性被害に遭う事は防げるのか?

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私のところには、たくさんの傷ついた人がやってきます。
その中には性的な被害に遭った方も少なくありません。例外なく「自分が悪かったのではないか」「自分がちゃんとしていればこんな事にならなかったのではないか」「これは自分の責任なのではないか」という自責の念を持っている。
トラウマを受けた人の多くはこれらの自責を感じます。
それに周りや社会的な声が、無防備だった被害者を責める声で溢れることもある。
そんな格好でいたからだ。
もっと用心深くしていたらよかったんだ。
相手を怒らせるようなことをしたんだろう。
思わせぶりな態度をしたからだ。
などなど。
でもそれは本当なのか?
私たちは用心をすれば100%被害を防げることができるのか?
私はそう思わない。
加害者は加害をしようという意志を持っている。
百歩譲って、仮にものすごく用心をしていれば、防げるとしても、そのものすごい用心のために、常に神経をとがらせて、常にピリピリとしていなければならないのか?
なぜ私たちがそれだけのものすごい労力をかけて生きていかなればならないのか?
私たちは、基本的に世界を社会を信頼して生きている。明日、天が落ちてこの世がなくなると思っては生きていけない。人に挨拶すれば挨拶に応じてくれるし、いきなり殴られることはないと思って生きている。
私たちはそういう信頼関係の上でしか生きていけない。
その世界への信頼関係をことごとく壊すのは加害者なのだ。
加害者はたまたま見つけた人をただ襲う。
気に入ったから
抵抗しなさそうだから
気が弱そうだから
そこに必然的な理由などない。被害に遭うのは、何かしらの落ち度があったためではなくて、たまたま加害者に見つかってしまっただけ。
問題は加害者にある。
被害にあったは人たちに問題があったわけではない。
そしてどんな理由があろうとも、人の身体を侵害することは許されないこと。
性被害だけではなく、交通事故に遭うなどもいくら用心していても100%防ぐことはできない。安全運転していたとしても、暴走運転の車にたまたま当てられることはあるわけだ。
性被害に遭ったのは、被害者の責任ではなく、加害者の責任であって、被害者は自分を責める必要は全くない。
心ない外部の声に耳を傾ける必要もない。
生き残って今生きていること自体が勝ったと言っていいと思う。
 

トラウマの医療人類学
宮地 尚子
みすず書房
2005-07-22


「二人称の関係」に留まるとはどういうことか。

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前回の記事こちらを受けて。

さて、ブログをアップした後、著者の小松原さんからご感想を頂いて、大変光栄なことなのですが、そこで、私が当たり前のように思っていたことは、心理ワールドの話で外の人達には全然共有されていないことが、はっきりと確認することができました。

 Thが「二人称の関係」に留まることが必要

というのはどういうことなのか?そして、Thは何をする人ぞ?

と問いかけられたように思いました。

そこで私は、「トラウマの告白」自体が「二人称の関係」に引きづりこまれる力があるという話をしたのですが、そこで小松原さんは

それはTh側の問題である。

と言われたんですね。

はい。全くその通りです。

 Thは「二人称の関係」と「三人称の関係」を行ったり来たりする選択権を持っている。
全く、Thと Clは対等ではない。
で、その行ったり来たりをClは裏切りと感じることもあるでしょう。

で、これは構造的なシステムの話であるんですが、私たち心理の人間にとってはさらにその内的なシステムにも注目するわけですね。

「トラウマの告白」はClがいつ誰にどのように行うかを慎重に選んで行われることが殆どです。そうでない場合はまさに二次加害であるでしょう。(少なくとも、Thがそんなことはしないと思っています)
ですから、私たちがその告白を聞く時は、私たちが、Clに選ばれたと言えるのではないかと思います。
ですから、ThとClの間の「二人称の関係」はTh側の問題であるが、それはClが選択できるものでもあるのかなと。

被害者は「なぜ私なのか?」と問うことを必要するが、ThとClの関係は最初から提示された条件の中での関係であるがゆえに、制約を受けます。

初回で一切トラウマの話をせずに来談されて、一年くらい経ってから「告白」をされることがありますし、被害者支援センターからの紹介以外はほとんどのこのパターンです。私の経験では。

その一年というのは、私が値踏みされて、信頼たる人間であるのかを見極めているのだろうと思いますし、それは当たり前だし、その方が健全です。
その過程があるから治療同盟が結ばれる。いや、私は「トラウマの告白」自体が 治療同盟が成立していないとされないものなのかもしれないなと感じます。だから「なぜ私なのか?」というという問いは生まれることはなく、率直に言えば「私はトラウマを告白しても耐えうる人間だと判断された」「信用された」と答えを得られるのではないでしょうか。


学校ので大きな事件があった時、震災の支援に被災地に入った時、その地平は常にぐらついていて、まっすぐ立っていられないような感覚がします。外から入った私ですら感じる感覚ですから、そのコミュニティ内部の人たちはグラグラとその地平と共に揺れ動いています。
その中で、できるだけその地平に影響されず、じっとまっすぐ立っているものが必要になるし、それを目安にすることができます。それが支援者の大きな役割の一つです。
できるだけ、動じない人の方が、揺れている人にとってはいい、一緒に揺れ動く人は何も支えにならないのです。
常に同じでいることの大切さというものあると思います。
それが「三人称の関係」です。

どんなひどい出来事のトラウマを聞いたとしても、全くそこから距離を取り、動じないということもできます。傍観者の立場です。Clの体験していることは常に自分の外の出来事であり、自分はそこには関与しない。そんな態度を取ることもできます。

また、自らのトラウマを刺激され、非常に動揺し、一緒に海に放り出されるように沈んでいくこともあります。溺れる人を助けに行って、一緒に溺れる人です。

で、Thはそのどちらにも容易に陥ります。逆に言えば、Thもその間を振り子のように揺れ動くものだろうし、それがセラピーであると思っています。熟達すればその振り子の振れ幅は狭くなっていきますが、だからと言って、振れないわけではないわけです。

なぜ、傍観者ではいけないのか?

セラピーにおいて、ThとCl、DrとClだけではなく、「人と人とが出会う」ことが必要だからです。心理療法は症状の消失だけではなく、人としての苦しみについて扱います。その中で、一人の人間として目の前のあなたに向き合わないとならないのです。

「私とあなたが出逢う」

それがサイコセラピーまたは心理療法なのです。
だからこそ、Thの前には「他でもない『あなた』」が立ち現れ、引きづり込まれるのです。

このへんの話はたくさんの書籍がでていますので、ご自分の好きな学派の好きな先生の本をお読みください。

私の「『二人称の関係』に留まる」とはそういうことなのかなと思っています。


「関係性」を選択している(時と場合によって使い分けているとも言えます。使い分けを一瞬一瞬選択していると言ってもいいかもしれません。)のは確かにThですが、その「関係性」は静止しているわけではなく、常に治療同盟の中でダイナミックに変化しているものであり、その変化はThがコントロールしきれるものでもなく、常に緊張と弛緩を繰り返していくものです。選択権というと非常に確固としたコントロールできるものと思えますが、実は微妙なバランスの中で成り立っているものです。そして、私たちは報酬分」のリターンをきちんと提供出来る結果を出すことが求められます。


いやー、こうやって書くとめちゃくちゃ難しい事ですねぇ。
若い衆にとっては脅しとしか言えないような文章になっていますが、この20年選手の私も難しいと思っているので、めちゃ難しい事だと思っていてほしいです。

日々怠らず、精進したいと思います。



精神医学的面接
サリヴァン,H. S.
みすず書房
1986-12-09




 
最終講義―分裂病私見
中井 久夫
みすず書房
1998-05-09

 

「性暴力と修復的司法」を読んでの感想というか思ったこと。#1

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Twitterでも感想を書きましたが、ブログでもうちょっと書こうかなと思います。


読み始めて最初に興奮したのは「二人称の関係」という概念です。
いやー、興奮しましたね。
これはよくうちの一門*1で言われる「出逢う」ということに通じるのもではないかと思いました。
この「出逢う」っていうのは、他でもない「私とあなた」という関係性であり、それはThとClの間でも成立する関係です。

しかしあくまでもThとしてその人の前に現れるものであるわけで、その辺はThは「二人称の関係」であると同時に「三人称の関係」に留まることが重要なことです。
ここで、「二人称の関係」のみに陥ると、いわゆる「巻き込まれる」状態であり、二次受傷や燃え尽きなどのリスクを上げることになります。

かといって、ただ「三人称の関係」の中にいたのならば、それはサイコセラピーとは言えないでしょう。コーチングなどはこの「三人称の関係」のみのように思えます。

「心的外傷と回復」でハーマンは、
治療者が政治的に中立的であろうとすること自体が、性暴力被害にあったクライアントに対する裏切りである
というようなことを言っていたと思います。(正しくは本を読んでくださ)

私たちはClが私たちの元に訪れて、その苦しみをClが口にした瞬間から「私とあなた」の関係に陥り、その中から回復への一歩を踏み出すのです。

ThとClはのっぴきならない「二人称の関係」の中に入り込んで行きます。セラピーの中で色々な感情が湧いてきて、怒りや悲しみや絶望なども溢れてくることもあります。「あなた」を侵害した「加害者」と「私」という関係も成り立ちます。それら多くの感情、情動を我慢した上で、「三人称の関係」としてThという立ち位置を踏みしめていくことが必須であり、そこを通過することで健全なサイコセラピーが成り立つと考えます。*2

もっと言えば、「効く」サイコセラピーとはそういうものだと思う。

私たちは、酷い被害であればるほど「そんなことが起きるはずがない」という否定の心理が働きます。

宮地尚子の「トラウマの医療人類学」にもその辺は詳しく書いてありますね。
世界に対する信頼、コミュニティに対する信頼を揺るがすような、被害があれば、自分の安心感が脅かされるからです。

例えば、学校で事件事故が起こった時に、もうだいぶ前から緊急支援として、スクールカウンセラーが派遣されるようになりました。
私も何度も派遣されたことがあります。
何かしらの衝撃がコミュニティ内で起きた時に、そのコミュニティには嵐が吹き荒れ、すべての人がその嵐に巻き込まれます。特にもともと脆弱な人はその嵐によって、強く影響を受けやすくなります。

緊急派遣でスクールカウンセラーが行うことは、支援が必要な人たちを見つけ出して、支えること、そしてそのコミュニティ自体を下支えし、コミュニティを立て直すことが重要です。

しかし、被害の告白が告白した人と告白された人の間で、魔術的な作用が働き「私とあなた」というのっぴきならない関係に引きづり込みます。それはトレーニングを受けていない人にとっては恐ろしい経験なのではないかと思います。

学校内でのいじめなどはそれらが絡まり、「いじめ被害はなかった」または「それほどの被害ではなかった」と矮小化し、コミュニティの維持を最優先にして、解決しようとする力も働きやすいと思われます。

それらの構造が性暴力にも内包されているのではないでしょうか。だからこそ、私は「修復的司法」には懐疑的であり、 それがどのような意味があり、それがどのように作用するのか?という興味を持って、この本を読むことができました。

とりあえず、今日はこの辺にしておきます。


ジュディス・L. ハーマン
みすず書房
1999-11-26


宮地 尚子
みすず書房
2005-07-22



小松原織香
成文堂
2017-11-12




*1 最近この一門での勉強会に行っていないので、一門とは言えないかもしれない。てか、誘ってもらえない。。。:;(∩´﹏`∩);:

*2 ここでThの立場から転がり落ちた人が、事件を起こすような人です。注意してください。






 

新年早々ですが。


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まずは、新年明けました。今年もよろしくお願いいたします。(喪中のため、祝いの言葉は控えました。


さて、新年、いや年末から、テレビのことでもう炎上続きですよ。

大晦日の笑ってはいけない〜は私も毎年観てました。5年くらい前までかなぁ。
最近は全然見る気がしないので、観ていませんでしたが、放送中からもうついったランドで持ちきりでしたね。

「笑ってはいけない」浜田の黒塗りメイクが物議 黒人作家が語った不安

浜ちゃんのブラックフェイスは黒人差別なのか 知らなかったでは済まされない

「ガキ使」浜田雅功の黒塗りメイク BBCやNYタイムズはどう報じた?

SNSがあるおかげで、世界の辺境の地の田舎者の愚行もこうやって世界中に発信されるという事態。


他にも今年の「笑ってはいけない」では「不倫をした罰」で女性に「制裁」という「笑い」を放送したそうだ。

ベッキーにキック痛打 ダウンタウン年末特番-国連、憲法の視点からも最悪

さて、そんな中TLでこんなtweetが流れてきました。
結構長い動画ですので、じっくり観れる時に観てください。
 

これ観るとわかるんだけど、人種差別反対という人に批判をする人はどこの国の人もほぼ同じことを言っています。これオランダのドキュメンタリーなんだけど、オランダってちょっと引くほどのリベラルな国みたいなイメージがあったんだけど、ああ、どこでも同じ問題を抱えているんだなとしみじみ思った。
ま、でも裁判所の場面では裁判官4人が全て女性だったのには、やはり日本とは基本が違う。。。
とまたしみじみ思ったわけだけど。
白人特権についての説明と実験があって、それは白人を男性とか健常者とかに変えてもやはり同じような特権があると考えられると思う。

これは偏見からは逃れられないけれども、私たちが私たちの社会をどのようにしたいのか?何を許容し何を拒否するのか?ということであることを示唆している。

ベッキーの件についてはこうtweetした





これも同じなのです。
私たちが生きるこの社会をどのようなものにしていくのか?ということなのです。
「その表現が不快である。傷つく」という人たちにたちに対して、私たちがどのように答えていくのかということ、またよりよい社会のために何を許容して、何を拒否していくのかということ。

ベッキーがその行為を許容したとしても、その行為をテレビという媒体で表現されることを私は望まない。
女性がプライベートの人間関係について、何も関係ない男たちから、「制裁」を受けることを「笑い」として「エンターテインメント」として許容することはできない。

顔を黒く強調することで黒人をステレオタイプに表現して、「笑い」として「エンターテインメント」とすることを私は拒否する。

そういう声がたくさんになれば、それはすでにエンターテインメントとして失敗している。

これはそういう話であって、リスペクトがあるだことの、日本は黒人差別を共有していないとかそういう話ではない。

そこのところを間違えないようにしたい。

 

「キモくて金のないおっさん」の話題


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今日はクリスマスですね。メリクリ〜。ローストチキンをぎゅうぎゅ焼きで焼いてみました。
twitterでは「クリスマス粉砕デモ」も昨日やっていたってのを見かけたんですけど、うちは普通にチキンとケーキ食べました。家族の日でカップルの日ではなかったです。

さて、この前twitterでこんな会話をしました。




この件については前から色々なんだかとりとめなく思うところがあったんですけど、最近は多分本人たちにとっては必死なんだろうなと。
ヨハネさんのtweetで改めて思ったわけです。

モーメントにも載せておきましたが、彼らが何を望んでいるのか、何を欲しているのかがわからないのは、彼ら自身がわかっていないからだろうなとも思っていて、時々TLに流れてくる 、村上龍botの言葉を借りれば



(このbotが本当に何だか定期的に流れてくるんだけど、誰だよ流している奴は)

自分が何を欲しているのかわからないので、こじれにこじれているように見える。

金のないキモいおっさんっていうフレーズからわかることは、お金がないこと、キモいこと、若くない男性のことなんだけど、だいたい言及されるのは、彼女がいないとか結婚できないとかセックスができないとかそういうことなので、労働問題とかルッキズムの問題とか男性社会でのマウンティングの話とかそういうことよりも、対女性との関係性の問題がメインなのではないかと思われる。





これを見ると
キモくてカネの無いオッサンの「キモさ」なんて、例えば性交渉経験の有無とか結婚歴の有無とか恋愛経験の有無とか色々指標を使って概念的に精緻に考えられるでしょうし、この概念は勝手な俺かわいそうルサンチマンの産物とか言って片付けるのではなくそういうのが本来社会学者様の仕事でしょうが。

 
とあるように、やっぱりセックスとか結婚とか恋愛とかそういうものが指標になるようだ。
 男性性は確かに最後の砦かも知れないが負担ださ諦めなさいとメンズリブのように非モテを諭したとしても、結局世の中は男性性を十分に体現したモテもする男性達が男性性を存分に発揮して回っていくことには変わりないのであって、非モテにだけ仏教かストア派を奨めている感じになりますよね。

モテる男を尻目に指をくわえてみていることに苦痛を感じている。ここが大事なところで、「モテる男と自分を比べた時の苦しみ」と「自分が女から振り返ってもらえない苦しみ」とどちらが本質的な痛みなのか?というところが一緒くたになっているように思える。

「某広告代理店の今炎上中マンのようになりたい。」

という感じが見え隠れしているように感じるのですよ。これ前者の苦しみ。そうなれない自分が哀れで、そうさせない社会が憎い。そういう風に聞こえるんですよ。

後者の、自分を愛してくれる人が欲しいという痛みとまったく違うことがわかりますかね。


広告代理店炎上マンは女性を「性的な存在」としてしか見れない人なんだと思う。
女は「やれるか、やれないか」としてしか見ていない。
やれない女は価値がない。意味がない。
そういう世界。でもそういう世界は性別に関係なく「利用価値があるか、ないか」でしか相手を見れないし、それしかない世界だから、男もセクハラ、パワハラにあう。
で、それが「男らしい」とされてきた社会。
童貞を嘲るのもこの社会。

女をあてがうしか救われない男

という発言はこの↑社会の話。

女をあてがうと「何」が救われるのか?ってところに説明がないんだよね。
そこが一番大事なのに。
救われるって、何がどう救われるんだろう。
女を性的な存在としてしか見ていないからそんなことが言えるわけ。
人を利用価値で見るのなら、その人からも同じように自分の利用価値を見定められるだろう。
それで何が救われるのだろう。
女がいたら、何が救われるのか?
その女はどんな女で、何をしてくれる女なのか。
何を期待するのか。
そういうことを一つ一つ丁寧にほぐしていかないと多分、何も救われない。


で、この話題にピッタリな1曲を。











 

やはり落ちましたね。




心理研修センターから通知来ましたよ、やっと。
締め切りギリギリに出したのでやっぱり落ちました。
今年は受ける気があまりなかったし、年度末の研修とか地獄かと思っていたので、まぁ私としては落ちてよかったのかなあと思っています。

速達などで気合い入れて申し込んだ皆様は講習の席をε=\___○ノ゚ GET!!できたのでしょうか?

内容教えてくださいね!!





MBAが退院してきたよ!

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🔼退院してきたMBA

MBA ソイラテ水没から復活なう 水没MBAのその後


 いやー、退院してきました。元気になって!!
かなり快調です。

修理もかなりお安くやってもらえて助かりました!!

水没箇所の画像が修理屋さんから送られてきたのですが、赤丸で囲われてるとこいっぱいありすぎじゃね?とドキドキしてしまいましたが、それでも今はこのブログを書けるまで元気になって。・゚・(ノД`)・゚・。

日曜日に送り出して、水曜の朝一で帰ってきたので、速さも大満足です。

いやー、それにしても持ち歩ける端末がiPhoneだけっていうのは不便でした。
本当に気をつけないとね、仕事しながらのコーヒーは。

実は水没事故はこれ2回目で一回目はMBAと給食の牛乳を一緒に持っていて、牛乳パックが潰れて牛乳マリネにしたっていうことがありましたが、それはもうジャンクで売りました。
買ってくれてありがとう。

皆様のおかげでいろいろやれております。
というわけで、感謝のブログでした〜。

ちなみに修理は35000円くらいでしたよ! 




 
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